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From the Top: Carter Holland

PinkebikeにBLKMRKTオーナー、カーター・ホランドのインタビューが掲載されたので、以下翻訳してみました。


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今回の'From the Top'はブラックマーケットバイク社のオーナー、カーター・ホランドにインタビューを行った。カーターは90年代後半から自転車業界に係わっており、この9年間は今日のブラックマーケットの地位を築くのを助けてきた。彼はダートジャンプ、スケートパーク、トレールライディングまで等しく得意にしている。私達はカーターが警察官になってからどのような道を歩んでバイクカンパニーのオーナーになったのか、そしてブラックマーケットの未来について話し合った。


PB: 子供時代はどんなだった?常に自転車に乗っていた?


私はフォルクスワーゲンのバンの中で育ちました。父親がヒッピーだったのです。クレイジーな子供時代を過ごしました・・11歳まで母親には会えませんでしたし。4歳の頃から自転車には乗っていましたね。父親が10インチのキャストホイールの付いた、小さなモトクロスのような自転車で乗り方を教えてくれました。それ以来、軍隊にいた時、スケートボードに熱中していた時を以外は人生の多くをライディングに捧げています。


最初のMTBは全てクロモリ製のGTのカラコラムでした。それを1日だけ山で乗って、家に帰るとそのままAMPフォークの付いたUnivegaか何かを買ったのです。この自転車には長い間乗り、その後、ビッグベアーの時代になってFoesウィーゼルにHannebrinkフォークでダウンヒルをしていました。私にはマウンテンバイクの色々な歴史がありますが、BMXを愛して乗っていたのです。山側から引っ越しして来た時はシープヒルズだけで乗っていて、BMXがイージーな手段でした。この時点ではほとんどのMTBフレームはくだらないものばかりで、私の買える余裕の無いインテンス以外にお金を費やすのは無駄だったのです。


その後、MTBはタラ・ヤネスによって私にもたらされました。ジャイアントのために彼女のバイクのコンポーネントを交換したのですが、これによりわざわざジャイアントがコロラドまで自転車を送る必要が無くなったので、その代わりにフレームを貰ったのです。これが私をMTBに導いてくれました。ウィスラーのような場所を知ることができ、ターンの仕方を学ぶことができたのです。私はジャレッド・ランドーと一緒に作ったカッティー用のコースを持っており、フラットターンは私が最も好きな物の一つであることを発見したのです。


PB: バイクカンパニーのオーナーになる前は何をしていた?どのようにしてブラックマーケットを所有するようになった?


私は20歳から軍におり、実際には19歳の時に登録して、20歳になるのと同時に入隊しています。5年間を海兵隊でCH53Eヘリコプターのドアガンと機体メカニックを担当し、その間に砂漠の嵐作戦とソマリアでの希望回復作戦に従事しました。その後、チノで2年間警察官をしてからコンクリートのビジネスを始めました。コンクリートポンプのビジネスを所有して、100ポンドの重さのコンクリートホースをそこら中に運んでいました。私の手がひどく荒れているのはそれが理由です。


私は常にバイクライダーであり、20歳代後半にはS&Mからレースのためのサポートを受けていました。StormというMTBにも乗っており、その乗り味は本当に気に入っていたのです。その頃からBMXはヘッドアングルが立ち、さらに硬い乗り味になったため、S&Mクルーザーのジオメトリーを改良して乗っていました。これが私の最初にデザインしたバイクです。本当に好評であったため、タラ・ヤネスへ個人的に使うバイクとして渡したのですが、彼女も気に入ってくれました。でも、この頃には彼女はYETIに乗り始めていたので、私はこのフレームに乗ることを辞めてしまいました。このことは自分のジオメトリーがどのような感じのか、とても良いアイデアを与えてくれました。


私は買うべき自転車を探し始めて2年間、どうしょうも無いフレーム買い続けたのですが、最後のフレームはAventが私に送ってきたJibsterでした。組み上げた所を眺めて笑ってしまったのです。私はモーラー(S&M CEO 編集部注)に電話して「26"のデュアルスラロームバイクを作る必要があるよ」(その頃デュアルスラロームシーンは大きかった)と言ったのです。私は彼をレースに連れて行って説得しました。彼がレース会場に現れた時、それは彼が思っていたものと大きく異なったのです。彼は「私は自転車を作るつもりは無い。でも、君がブランドをやるなら私はバイクを作って君に売ろう」と言ったのです。これが基本的にはブラックマーケットのスタートです。


最初の5年間はS&Mが全ての資金を提供してくれました。その5年が終わった時、私はブランドを買い取るか、もしくはS&Mものとして他の消えたブランドと同じように失ってしまうのか選択肢がありました。私はコンクリートの男から、バイクブランドのオーナーとなったのです。一種の強いられた選択肢でした。私はブラックマーケットを愛していますし、自転車と自転車業界を愛しています。もう100ポンドの重さのコンクリートホースを引きずってはいません。


PB: ブラックマーケットでは何人が働いている?


2人です(私を含めて)。私とセールスと倉庫担当のジェス・シムズだけです。


PB: 誰がフレームをデザインしている?特にKillswitchやROAMのサスペンションは?


サスペンションのデザインは私のパラメーターと、パブロ・タフォーヤのデザインのコラボレーションです。パブロは全てのブラックマーケットのサスペンションをデザインしており、私は他の全てを担当しています。パブロはコルセアをデザインした男で、今キャメロン・ジンクの乗るHyperはパブロがコルセアのために実際はデザインしたものです。


PB: フレームはどこで作られている?


MobとEDIT1はアメリカ製で、他のフレームやハンドルバーなどは台湾です。31.8mmのステムはここカリフォルニアで生産しています。私がEDIT1用のチュービングをカットしており、S&Mのトップウェルダーだったライアン・ロビンソンがフレーム製作を担当しています。


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PB: ブラックマーケットはライダーオウンドカンパニーとして知られていますが、オーナーがそのスポーツに情熱を持っていることをライダーが知った時、より尊敬を勝ち得ることができると思いますか?


助けになると思います。私は現役ライダーです。ワンハンドしかしないような、オールドスクールではありません。


私は自転車乗りです。とても単純です。自転車が好きで、自分が好きなものを作るのが好きです。それを公明正大に行っています。NSFというシングルスピードのロードバイクさえ作っています。5.5ポンド(2.5kg)のロードバイクフレームで、2.5mのドロップを飛んだり、マニュアルができます。とても楽しいのです。あなたが過去に乗ったどのロードバイクよりも楽しいでしょう。自転車に乗ることを楽しくしたいだけです。


私は背が小さく、それが小さな人用のバイクをデザインするのに助けになっています。なぜなら他社は大きなサイズのより“smaller"なサイズを作っているだけだからです。多くの他ブランドはただ台湾の工場へ行き、有り物のフレームを有り物のジオメトリーで買って、自転車に乗らない人が素晴らしいと考えた誰かのデザインを採用しているのです。私は台湾に行っていますし、どのようなシーンがあるのかも知っています。それは十分ではありません。スケートパークに行って見てみれば分かります。


PB: 今でも進化していると感じる?


それは毎日。オールマウンテンのスタイルはエキサイティングで、最初にMTBに乗った時を思い出させてくれます。毎日乗りに行って、自分の限界に挑戦するのが好きです。Stravaにいますが、他者と競争するためではなく、自分への挑戦です。Stravaは楽しいですね。


PB: トレンドは一周して、人々は外に実際にペダリングして出かけることの楽しみを再発見したように見えます。


ええ、それはクロスカントリー・ライディングです。今は楽しい自転車があります。現在、唯一の納得させなければならないのは、175cmでSサイズのフレームに乗るべきなのに、Lサイズに乗らなければならない、と考えている人達です。その場合、彼らはスティーブ・ピートのバイクに乗っているように見えるでしょう。より長いトップチューブを採用するトレンドは過去に逆行しているように見えます。私は168cmでROAM XSサイズを650BでDHレースしています。50mmステムに150mmトラベルのフォークで背の大きな選手の乗るDHバイクと戦っています。トレールライディングではSに乗っています。しかし、ジャンプをしたい場合や、よりターンを楽しみたい場合はXSに乗ります。もしMに乗ると、フィーリングを失ってしまいます。175cmで23.25"トップチューブのバイクに乗るような人が存在するのです。


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PB: ブラックマーケットの今後の予定は?何か大きな計画は?


今はROAMを離陸させようとしている所で、ブランドを支える基盤を作っています。主にダートジャンパーのキッズだけに販売しているなら、" flavor of the week"(1週間だけの人気者)になろうとすればいいのですが、現在私達はそうではありません。そうなることはとても難しいことですが、永遠に乗れるような自転車を欲しがるオールドスクール達には我々が選択肢です。シーズン直前に自転車を探しているような誰かの為の自転車はありません。現在、我々は多くの完成車を販売している訳ではありません。しかし、Profile USAのクールなパーツキットを用意しています。アメリカのブランドをなるべく採用するようにしているのです。アメリカ製のハンドルバーも予定しています。


多くのアメリカ国内で1度たりとも製品を生産したことの無いブランドが「アメリカ製っぽい」製品をラインナップに持っています。アメリカのキッズはそれに気づいていません。しかし、彼らが歳を取った時、その価値を知り、長く使える物にお金を払うようになるのです。


究極は、自分のフレーム工房を持ちたいと思っています。私は自分の手を動かしたい人間です。人生を通じて製作をしてきました。何かを作っていなければ、幸せではありません。それが、台湾に行って誰かがフレームを作っているのを見るよりも、より楽しいやり方です。


PB: 振り返って、十代の自分へのアドバイスをするなら?


私が犯した過去の過ちは、今では良い思い出です。良い選択、悪い選択、その両方が今私のいる場所へと導いてくれたので、それを変えようとは思いません。私はもがいています。しかし、私は自分のブランドを持っており、誰もそれを奪うことはできません。これは誰もが簡単に言うことができることではありません。



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